木炭バスの後押しながら覚えた割り算の九九;にいちてんさくのごHomeへ⇔随想集へ木炭バスの後押しながら覚えた割り算の九九 一の段 1÷1 いっちんのいんじゅう(一進の一十) の段 1÷2 にいちてんさくのご(二一天作の五) 2÷2 にっちんのいんじゅう(二進の一十) 三の段 1÷3 さんいちさんじゅういち(三一・三十一) 2÷3 さんにろくじゅうに(三二・六十二) 3÷3 さっちんのいんじゅう(三進の一十) 四の段 1÷4 しいちにじゅうに(四一・二十二) 2÷4 しにてんさくのご(四二天作の五) 3÷4 しさんひちじゅうに(四三・七十二) 4÷4 しっちんのいんじゅう(四進の一十) 五の段 1÷5 ごいちかいち(五一・加一) 2÷5 ごにかに(五二・加二) 3÷5 ごさんかさん(五三・加三) 4÷5 ごしかし(五四・加四) 5÷5 ごっちんのいんじゅう(五進の一十) 六の段 1÷6 ろくいちかかし(六一・下加四) 2÷6 ろくにさんじゅうに(六二・三十二) 3÷6 ろくさんてんさくのご(六三・天作の五) 4÷6 ろくしろくじゅうし(六四・六十四) 5÷6 ろくごはちじゅうに(六五・八十二) 6÷6 ろくちんのいんじゅう(六進の一十) 七の段 1÷7 ひちいちかかさん(七一・下加三) 2÷7 ひちにかかろく(七二・下加六) 3÷7 ひちさんしじゅうに(七三・四十二) 4÷7 ひちしごじゅうご(七四・五十五) 5÷7 ひちごひちじゅういち(七五・七十一) 6÷7 ひちろくはちじゅうし(七六・八十四) 7÷7 ひっちんのいんじゅう(七進の一十) 八の段 1÷8 はちいちかかに(八一・下加二) 2÷8 はちにかかし(八二・下加四) 3÷8 はっさんかかろく(八三・下加六) 4÷8 はっしてんさくのご(八四・天作の五) 5÷8 はちごろくじゅうに(八五・六十二) 6÷8 はちろくひちじゅうし(八六・七十四) 7÷8 はちひちはちじゅうろく(八七・八十六) 8÷8 はっちんのいんじゅう(八進の一十) 九の段 1÷9 くいちかかいち(九一・下加一) 2÷9 くにかかに(九二・下加二) 3÷9 くさんかかさん(九三・下加三) 4÷9 くしかかし(九四・下加四) 5÷9 くごかかご(九五・下加五) 6÷9 くろくかかろく(九六・下加六) 7÷9 くひちかかひち(九七・下加七) 8÷9 くはちかかはち(九八・下加八) 9÷9 くっちんのいんじゅう(九進の一十) 懐かしい方も多いかと思います。 「天作」とは、その桁の玉を全部払って「五玉」をたてることです。 「○っちんのいんじゅう(一十)」とは、その桁の玉から○を引いて、一つ上の桁に「一」をたてることです。 「○いちかいち(加一)」とか「○にかに(加二)」などは、その桁に「一」とか「二」を加えることです。 「○いちかかいち(下加一)」とか「○にかかに(下加二)」などは、その桁の下の桁に「一」とか「二」を加えることです。 そのほかの場合は、例えば、 さんいちさんじゅういち(三一・三十一)とは、その桁に三をたて下の桁に一を加える。 しさんひちじゅうに(四三・七十二)とは、その桁に七をたて下の桁に二を加える。 ことです。 割り算は、左側に除数を、そして二桁以上空けて、被除数を置いて、被除数の最下位桁から数えて除数の桁プラス1桁目の下の枠に小指を置けばそこが商の1位の桁になるので、小指を動かさないようにしながら、被除数と除数を一桁同士を比較しながら、割り算の九九に従って計算していきます。 商は小数点以下も必要な桁まで求める事ができますし、剰余(あまり)も求める事ができます。 計算例 15÷7 1. 左側に7を、そこから2桁空けて15をおく 2. 15の1の桁に左手の小指をおく 3. 1x÷7・・・ひちいちかかさん→1の下の桁の5に加えること3で8になる。 4. 8÷7・・・3を加えた8の計算・・・8は7より大きいので・・・ひちちんのいんじゅう→8から7を引いて上の桁1に1を加える。 5. 1を加えられて商は2となり7を引かれて余りは1となる。 これは如何でしょうか? いんいちがいち いんにがに いんさんがさん いんしがし いんごがご いんろくがろく いんひちがひち いんはちがはち いんくがく 掛け算の九九の一の段目ですね。 割り算をするときの掛け算に使います。 ソロバンを習った方なら、ご存知の方が多いと思います。 ソロバンには、読み上げ算・見取り算・掛け算・割り算・伝票算・応用算。 暗算には、読み上暗算・暗算・掛け暗・割り暗・伝票暗算・応用暗算。 があります。 さらには、段位になると、平方根を求める「開平算」やさらに立方根を求める計算もあります。 『菜翁が旨さん』がソロバンを習っていた小学生の頃のことです。 ただ単に“ぞうり”と呼んでいた“わら草履(ぞうり)”は小学低学年のころに履いていた。 そして高学年になったころようやく灰色のゴム製の草履、この“ゴム草履(ぞうり)”を“あさぶら”と呼んでいた、これが、小学生の頃の日常の履物であった。 まだまだ終戦後の匂いの消えない昭和20年代中・後半の頃である。 今でも、ホルモンのセンマイを食べるたびにこの灰色のゴムの“あさぶら”を思い出す。 今なら車でわずか7,8分のところを、舗装されていない穴ぼこだらけでホコリだらけで雨の日には水溜りだらけではあるが、春には満開の桜並木になる道路を、一時間ほどかけて今なら懐かしいボンネット型の路線バスが走っていた。 時間がかかったのは、道路が悪かっただけではなく、カチカチ山のたぬきよろしく、バスは車両の後部に薪を燃やすかまどを背負って走る木炭バスであった。 動力が弱いので、スピードなど出せないばかりか、15度くらいの坂道になると、乗客はバスから降りて押して登らなければならなかった。 まだ小学生だった、ソロバン塾に通っていた『菜翁が旨さん』も、割り算の九九をぶつぶつ唱え覚えながらバスを押していた常連の乗客の一人だった。 小学生のあいだに、一級を超えて段位まで取得したこともあって、ソロバンは中学生になるとプッツリと止めてしまったが、割り算の九九は、今でも、まだ覚えていたことは、自分でも驚きである。 ただ、平方根を求める「開平算」を忘れてしまって、孫達に教えて入れないのは、残念である。 よろしければ『ポチーッ』とお願いします。
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